教育に対する親の心構え

大学で教育・研究に携わる立場と子供を持つ親の立場.この2つの立場を通しての経験から,私見を述べます.

大学受験について

子供を一流大学に入れることができれば,子供は幸せな人生を送れるに違いない.もし,そんな幻想に取り憑かれているなら,考えを改める必要があります.確かに,一流大学の看板には凄い力があります.一流大学を経由して一流企業に就職すれば,終身雇用と年功序列賃金制に守られて,平均よりも相当に上の生活が送れることがほぼ約束されていた時代には,子供を一流大学に入れることは親が取り得る極めて優れた戦略だったと言えるでしょう.時代は変わったと言われますが,現在でも,例えば京都大学という看板を背負っていれば,学生にとって就職活動は極めて有利なものとなるのは事実です.しかし,就職は最終目的とはなりえません.就職してから,何十年と働く必要があるのです.就職してから,活躍できることが必要なのです.大切なのは,看板ではなく,本人の実力です.子供に実力をつけさせてやることに注力すべきです.

そこまで理解した上で,本当に子供を進学させるのに相応しい大学があるならば,そして子供がそれを望むのであれば,全力を尽くして子供を応援してやりましょう.残念ながら,日本で一流大学と言われている大学も,国際的なレベルで判断すると,せいぜい二流です.特に教育に関しては,国際的には二流とも認めてもらえないのではないでしょうか.可能であれば,視野を広げて,日本の大学で良いのかという点まで検討するべきでしょう.

小学校や中学校の受験について

私は高校まで公立でしたから,小学校や中学校の受験を経験していません.このため,あまり実感がわかないのですが,受験を否定はしません.京都で子育てをしていると,(一部で改革が成功している高校もありますが)公立高校のレベルが総じて低いため,私学への進学を検討しなければならない雰囲気に包まれるという事情もあります.

しかし,親がムキになって,子供に受験勉強をさせるのには反対です.行政が「ゆとり教育」なんてふざけたことを言い出す国に住んでいるわけですから,塾に通わせるなとは言いません.しかし,小中学生が受験勉強ばかりするのは極めて不健全だと思います.学校に通うことに加えて,毎日塾に行き,さらに自宅でも勉強しろと親から言われ続けるような生活なんて,私は絶対に嫌です.そんな家庭で育ちたくはありません.もし,「勉強しなさい!勉強しないと,○○中学校に行けないわよ!お父さんみたいになるわよ!」などと親が言うような家庭があるとしたら,最低だと思います.

こういう親は,もし子供が受験に失敗したら,何と声をかけるのでしょうか.正直に,「あなたが馬鹿だから落ちたのよ.そんな馬鹿に育てた覚えはありません!」とでも言うつもりなのでしょうか.そうでなくても,親の期待に応えられなかった子供は,それがたとえどんな理不尽な期待であったとしても,自分を責めるでしょう.自分はダメな子なんだと傷つくでしょう.全く悲劇としか言いようがありません.

親の責務

問題は,親が,子供の将来をどのように考えているかです.どのような人間になってもらいたいのか.そのためには,どのような経験をさせるべきなのか.このようなことについて考えてみる必要があります.当然ながら,一流大学の入試に合格することなんて,人生の目的にはなりません.そんなくだらないことを,子供に目的として与えてもいけません.

私は受験が悪いとは思いませんし,受験勉強が悪いとも思いません.子供に良い教育を与えたいと願う親の気持ちは立派だと思います.しかし,大学合格が目的となってしまってはいけません.進学は手段です.必要であれば使えば良いですが,必要もないのに執着するのは馬鹿げています.

近視眼的にならずに,将来の社会の在り方について考え,その社会で生きるであろう子供の将来について考え,子供の成長に合わせて,その時々に適した経験をさせてやる.親に必要なのは,そういう態度ではないでしょうか.もちろん,そのためには,親が勉強する必要があります.歴史を知らない人が将来を見通せるはずはありませんし,子供に与えるべきものについても知らなければなりません.親がこのような努力を惜しむのであれば,一体,子供に何を要求できるというのでしょうか.

力を付けてやる

確かに,目の前に迫った入試を突破するためには,詰め込み型の勉強は効果があるでしょう.試験前の一夜漬けと同じです.しかし,そんな勉強は,子供が力強く生きていくために何の役にも立ちません.歴史の勉強をするときに,年号をたくさん覚えておけば,良い点数を取れるかもしれません.しかし,年号を覚えても,将来を見通すことなどできるはずもありません.大切なのは,様々な出来事がどのような社会的背景の中で起こったのかを知ることであり,因果関係(原因と結果)を理解することであり,その背後にある人間の意図を想像することです.算数の勉強にしても,公式を覚えるのは全く無意味です.公式が導かれる過程を理解し,公式の意味を理解しなければ,公式を役立てられるようにはなりません.

大切なのは,考える力を身に付けることです.しかも,論理的に.断片的な知識をいくら頭に詰め込んでも無意味です.知識が互いに関連づけられなければいけません.さらに,通常の入試で試されるような,正解が存在することが分かっている問題を解く力なんて重要ではないのです.大切なのは,目標達成のために克服しなければならない課題を分析し,課題を明確化するとともに,解決のための手順や方法を考え,実行する力です.

少なくとも,ペーパーテストで点が取れるだけの学生なんて,私は全然興味がありませんし,凄いとも思いません.そもそも,いわゆる一流大学の入試を突破するぐらいのことであれば,大して勉強をする必要なんてない人も多いのです.そういう人が集まっているのが一流大学だと言った方が良いのかもしれません.しかし,そんな優秀な人達であっても,社会で活躍するとは限りません.ペーパーテストで点を取る能力があるからと言って,まともに社会でやっていけるのかは分からないわけです.そんな無益な能力を身に付けるために,子供の貴重な時間を奪うのはいけないと思うのです.

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